誰かさんの日常。

うりぼうちゃんの日記。

色々ぼんやりした話

ちょっと前に、ある手続きの関係で、去年離婚の時お世話になった相談員さんと再び話す機会があった。

 

最近はどうですか?とか、あなたが最初にここへきてから何年経った?とか、他愛もない話をしながら必要な書類が用意されるのを待っていた。

 

人間関係がこちゃこちゃしてからというもの、「誰に」「どのくらい」「どんな」自分の話をするか考えすぎてしまう。

 

「誰が」「どのくらい」自分に話してくれたかはやはり自分も信頼関係の指針にするところがあるし、特段「どんな」というのは重要な気がする。

 

話の流れでぽろっと、「最近友人関係でひと悶着ありまして…」とこぼすとその方は自分の話を混じえて私を励ましてくださった。

 

私は少し驚いた。
名前も歳も知らなくてもこういう話できるんだな、今まで制度とかの相談とかしかしたこと無かったからなー、なんて事を思いながら、人って死ぬまでこんなような事で悩み続けるんだなって思うと少し憂鬱にもなった。

 

友人関係も波のように離れたりくっついたりするんだと思う、であればまたその友人と距離が近づいた時、私はその人の事を許すことが出来るのだろうか。

 

それを聞いた時、私は喉の奥が少し詰まったような感覚がした。

 

許すということはどういうことだろう。
-自分の受けた感情を一旦どこかへ置いて相手を受け入れなければならないのだ。

 

私は今、「誰か」たちのことをどう思ってるんだろう?
怒ってるの?悲しんでるの?絶望してるの?

 

「誰か」たちは私の事をどう思ってるんだろう?
怒ってるの?悲しんでるの?嘲笑ってるの?

 

私たちの距離がまた近づいた時、「それ」を一体どう消化できるのかな。

 

消化できるのならいいけど、ただただ横に置いとき続けて、うずたかく積み上がっていくんではないか…
とぼんやり考えながら私は帰途に着いた。