傷ついたことの記憶
昨日久々に夢を見た。
みんなで出かけているのに私だけみんなの輪から離れたところで1人ぽつりと輪の中に入れず誰かを待っていた。
耐えきれず私はその人にに近づき車の鍵をくれ、と鍵を受け取りその場を去った。
私はこれと似た状況をどこかで経験している。
前夫と暮らしていた時、彼の友人たちの集まりに参加させられていくといつもこんな感じだった。
ついては行くけど前夫は気遣いの出来ない人だったので私の事はほったらかしであちらこちらの仲間と話す。
私がコミュ力の高い人間ならばどんな人たちかもわからぬその中へ突っ込んでいって関係を築けたかもしれないが、コミュ力芋虫の私にはなかなか難しい。
まだ嫁ぎ先が地元ならば「では私も友だちと出かけてくるね」などと言えただろうが故郷ははるか遠く…元々友だちの多いタイプでもないのでそもそも定期的に集まってうぇーいって感じでもなかったのである。
新しい地で友達が出来たらいいなとは確かに思っていたけど、それは頑張ってするものでは無いと思っていた。
実際に何人かお友達ができたけどそれは頑張ったからではなく共通の趣味でたまたまフィーリングがあって仲良くなったのだ。
私は前夫の友人たちとの集まりが本当に苦手だった。
(どんな集まりかあまり詳しく書けないけど山奥でBBQしたり音出してうぇーいみたいな感じのやつ)
どうしても行かなければならないか?と聞いたこともあった。
彼は体裁を気にして一人で行くことを嫌がった。
私の感情よりも、お飾りとしてそこに一緒に行くことを半ば強制されていた。
趣味も合わないし子どももいないので子供の話もできない。
何より前夫が私を人に紹介するようなタイプではなかったため、ひとりぽつんと佇む私を「誰だあいつ?」「めっちゃ浮いてるやん」と見られているだろうと思うとほんとに肩身が狭く生きた心地がしないのである。
ある程度顔を出し役目を果たすと私はいつも車の中に引きこもって時間を潰していた。
夢から醒めてふと気がついた。
離婚する何ヶ月か何年か前から不破が始まったと思っていたけど、離婚原因であった精神的DV(経済的なものもあった)は結構前から始まっていて、割と結婚当初の記憶であるこの出来事も既に「無視」という形で私は傷ついていたのだな、と。
もう終わった、解放された、と思いつつも私はまだ記憶に縛られている。
離れてもまだ終わってはいないのだ。